この記事を読んでもあなたの得るものはありません。

 

1.はじめに

AnotherVision9期の謎垢です。

この記事は、AnotherVision Countdown Calendar 2021の23日目の記事です。*1

この記事に書かれていることは基本的に事実ではなく私の意見です。所属団体としての意見ではないという部分についても留意をお願いします。

 

2.新規性について

〜〜について語る、といった記事において、新規性のある部分は存在しない、良くても既存のことの言い換えになっているだけのことがほとんどです。*2これを「虚無記事」と呼んでいます。後述しますが、虚無記事を書くこと自体が悪だという主張ではないです。

もう少し前提を整理すると、これは私の認識の話で、興味の近い分野について、実用に直結しない(例えば、技術記事でない)記事や文章などを読むときに、私が新規性があると思うことについてです。前提が異なる場合はそもそも記事を読まなかったり目的が違ったりするため扱いません。

個人の経験(則)や意見について新規性とどう関わるかというと、それが興味分野における(見た目上の)最適化などで導かれるものであれば多くの場合自明で新規性とはなりませんし、ある特殊な事例を挙げられるものであればその特殊さによりその個人特有のものとして扱われるので新規性とはなりません。この文から分かるように、私にとって新規性とは、ある程度普遍的なものを指しています。

 

3.自明な謎解きについて

謎解きは最初(無知の状態)が一番面白いといいますが、実際そうだったように感じます。謎解きを始めた当時は年齢的に何も考えられなかったこともあるとは思います。*3
そのフェイズを抜けた現在、私が謎解きで謎自体が面白いと思うことは少ないです。それは、自明な謎しか解けないからです。

他の面白さの軸は他人の存在になります。私は特に謎解き公演のことは高価なコミュニケーションツールだと思っており、現在謎解きやその他趣味を続けている理由の1つにこのコミュニティが好きだからというのはあります。同様の理由で早押し謎解きは好きです。
いわゆる綺麗な謎や実装力が見える謎は製作者の自己満足に見えてしまい、よっぽど技巧的なものでなければ嫌いな立場で、嫌いでなくとも凄いの軸に入ります。

ここでいう「自明」とは、解法に論理的に辿り着く手法が存在し、それらを分解したものが私の中に存在する、ということです。
ただ、自明でも解けるというわけではなく、パターンを見落としたりして解けないことも多々あります。ここが厄介な部分で、(これは特に大謎で顕著なことですが)商業謎解きでは唯一解性の担保のために論理的に考えた時に解けるようになっているはずで、そのためには(難しい論理は存在しない認識で)基本的に見落としを誘発するように設計されているはずです。そのため「見落としで解けない」は言い訳として通用しないのです。

ひらめきでしか解けない、もしくはひらめきでないと探索量がかなり大きくなる謎を作るのは難しいため、これもしくはただ自明な謎が主流になるのは自然なことのようにも感じられますが、
確かに見落としに気づいた上でそれを回避できた時に嬉しい人はいるかもしれませんが、私が謎解きに求めていたものとは大きく違いました。

解けない謎の大部分が知っているパターンの見落としである現状、解けない謎に時間をかけることは無意味なことのように感じます。謎と探索量と探索時間の関係についてはいつか考えたいところです。

現状で、私が謎解きの面白さを享受するためにできそうと思われることを4つ挙げます。
A:ヒントや解説を積極的に見る
B:公演で他の人に解いてもらう
C:個別(設定別)に適化された抜け道系謎を大量に解く
D:自明部分を広げられるものを解く
後ろほど実践難易度(そのシチュエーションに出会えるかどうか)が上がります。

Aは一番手軽ですが、時間短縮できる代わりに劣等感が手に入ります。
Bは自明でないものについて解けたように感じられる唯一の方法です。ただ、実際は解けていないという事実に気がつけば結局劣等感が押し寄せてきます。また、これはAとも共通することですが、解けなかったものが自明なものの見落としであれば面白くない上自明なものを見落とさない方法しか手に入らないためほぼ無意義です(その情報にほぼ価値がないため)。自明でないものであっても、自明に落とし込めた場合はそれを自分で導けなかった劣等感が押し寄せるだけ(ただこの経験はしたことがありません)で、落とし込めない場合はそれを落とし込めない劣等感が押し寄せてくるため、どの場合でも長期的に楽しいとはなりにくいです。
Cは見落としより抜け道が良い(自明で適度に見つけにくい)ということでもありますが、たつなみさんがTwitterで出題されているパズルにある程度満足度を持つことに対しての言語化になります。分野は違いますがbaba is youも似た括りになるのかなと思います。ただ、「大量に」とあるように、1つ1つの満足度は微小です。
Dはかなり望ましいですが、そのようなものに出会ったことが一度しかありません。欠片というのですが。ただ、広げた自明部分はその後は自明として扱われるため、振り返った時に面白いとは感じにくいです。欠片に関しては、自明を広げる方法が確立できていない(自明の解像度が低い)ものが数問存在し、それらの問題のために継続しておすすめできている状況です。

私は自明でない謎を解くことができる人々、もしくは自明でない部分がない人々を尊敬し、とても羨んでいます。自明な謎は解けないことを見落としのせいにし、自明でない謎が解けない上自明に落とした時に劣等感を感じるような私は謎解きが向いていないのだとは思います。

 

4.LINE謎「Reverse」について

LINE謎「Reverse」は、ひらめきに焦点を当て、一般向けに作った謎解きです。3月に公開し、3月いっぱいで解説を公開する予定でしたが色々あって書けなかったため普通に解説を流します。なので、自力で解きたい方は自衛なり今解くなりお願いします。
こちらのツイートにあるリンクからLINEアカウントを登録できます。
また、AV7期の粗茶(ちゃそ)さんによって画竜点睛という雰囲気が似ているLINE謎が作られています。こちらは難易度はより
低いため、あわせてどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、ここから解説に移ります。LINEに「きがとあ」と送信するとあとがきが見られます。

それぞれの問題において、「変換用文字列」が存在し、答えの文字列を変換用文字列によってreverse変換したものが問題文として出ています。
reverse変換とは、変換用文字列における前からn文字目の文字を後ろからn番目の文字に置き換える変換です。変換用文字列に含まれない文字は変換できません。例えば、「うえ」を「あいうえお」で変換すると「うい」となります。また、「いし」を「ししまい」で変換すると「し(まい)」となるように、変換用文字列に複数含まれる文字を変換すると、複数の文字を変換した文字を逆順に並べたものに()を付けたものになります。また、ししまいの例で「いし」と「まし」を区別できないように、復元可能性は保証されていません。

1問目はなんとなくで大男を送り、2問目は大男が答えの理由を探った上でよくある可能性を試す、10問目は(ここまで解いた前提で)よくあるパターンを試す、とこれらはいいのですが、3問目で変換用文字列が五十音のパングラムでなくていいと気付くところから9問目まで、「与えられた文字を含むいい感じの文字列を探す」というよく分からない何かをする必要がありました。

()内の文字の多さなどからある程度文字列の長さが予想できるぐらいで、変換用文字列の探索は張らないとほぼ不可能で、文字的なひらめきが必要になると考えています。あとがきでは「なんとなく解ける謎」とあって、前の項にある「自明」ではないけれどひらめきで解けるということの言い換えになります。あとがきで触れている導線とは「ここに着目すれば解ける」という部分です。それが自明と関係ないのはかなりケースバイケースのもの、もしくは特殊な脳内探索を必要とするものだからです。

Reverseのコンセプトは私の考える理想の謎解きにある程度近いものですが、前の項で触れた「自明部分を広げる」という部分において、具体化されて(もしくは解像度を高められず)それは満たされないような気はしています。ただし、自明でないコンテンツは私には当然作ることができないため、理解の外側で作る必要があるということではあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5.まとめ

2.から4.までの事項が見ようによってはとりとめのないことにも見えるためまずまとめておきます。まず、全て私の認識の話です。
「無」「新規性」「自明」「ひらめき」といったキーワードが出てきました。ここでいう「無」とは、情報量がないということではなく、情報を受け取った時にそれを分析して知(形式的な記憶知識ではない)の構造に新たに含めることがないということです。既に知の構造に含まれているものであったり、理解できないものであったり、特殊すぎるものであったりすると無になります。知の構造にあることは自明で、新規性はありません。
2.は受動的に知の構造を広げることについて、3.は半受動的に知の構造を広げることについてです。ちゃんとは触れていませんしできませんが、消費でない製作は能動的に知の構造を広げることだと考えています。消費の製作とはいま自分の中にあるアイデアを出す形に沿って整形することです。
4.は知の構造を広げさせようという試み(この言語化自体は結果的なものですが)についてです。それがひらめき依存になるが困難であるというのは3.で触れています。

2.にあった、「虚無記事を書くこと自体が悪だという主張ではない」というのは、私の求める記事を書いてもらうのには無理があり、虚無記事として読む読み手の私に問題があるということです。普通そのような記事というものは他人へインスピレーションを与える効果がある、つまり能動的に読む必要があります。いわゆる掛け合わせのようなものです。私はこの掛け合わせに対しても完全に新規でないことに対して強い嫌悪感を持っているのですが、そこが結果的に自分の性格と合った言い訳に使われていたということなのです。謎解きが面白くない、劣等感、などに対しても同様の話ができます。

これらを把握してもらった上で、最初の一文「この記事を読んでもあなたの得るものはありません。」の意図を説明します。

私に能動性がないため、私を構成している考え方などの知の構造は他人由来のものとなります。なので、あなたから見て私は無です。他人の知の構造の媒介者として見ることもできますが、そんな効率の悪いことをする必要はないでしょう。

あなたが私が無であることに気づいたなら無として扱うことをおすすめします。

 

まだ見ぬ知の構造を求めて謎解きやその他コンテンツに触れることは虚しいことに見えます。私は無であることに対してどうも思っていませんし、無でなくなることはできないと思っています。

*1:大遅刻しました。明けました。

*2:新規性に関しては論文を読むと良いらしいですが、あいにく学問に向いた能力やスキルを持っていませんでした。私は東大生ではありません。

*3:謎解きは中3で始めましたが、高3になるまでは本当に何も考えられませんでした。