言語はどのようにして死ぬのか

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ごきげんよう、はじめましての方ははじめまして。

AVCC12月21日担当だった*1蜜井ひなです。

よろしくお願いします。

 

あなたは、「確信犯」という言葉の意味をご存知ですか。

 

 

 

この一文で質問の意図がわかった方もいるでしょう。「確信犯」は、誤用されがちな言葉として挙げられることがままあるので。

 

ご存知の方はまあ、そうだろう、で流してもらっていいんですけど、岩波国語辞典において、確信犯とは「政治的・思想的または宗教的信念に発して、それが(罪になるにせよ)正しいことだと確信して行う犯罪。」とあります。

 

しかし、それとは反対に「悪いとは知りつつ、ついしてしまう行為」の意で用いられることがあります。もちろん誤用です。

 

以上を踏まえて2つ目の質問です。

 

 

あなたは、「確信犯」という言葉を後者の意で誤用している人を見たとき、どのような対応をとりますか。



その対応はきっと状況によるのでしょう。誤用しているのが気が置けない間柄の友人だったり、公式な文書の中であったりすれば。

しかし、Twitterの何気ない呟きだったり、二度と顔を合わせることがないだろう他人が相手だったりしたら、或いは。

 

正直、訂正してもなんだか変な空気になることの方が多いと思います。中には、正しい意味を知っていても、それで伝わるから、という意図で敢えて誤用している人もいるかもしれません。

 

誤用であれなんであれ、その会話に参加している人が「確信犯」という単語に対して共通認識を持っていたら。それは誤りではなく、そのような意味の単語として成立しているのではないでしょうか。その、”会話”、というものの規模が”日本語話者の多く”、にまで広がればそれは最早、ひとつの単語のもつ意味の変化にはなりませんか。

 

実際、岩波国語辞典の7版では「確信犯」の誤用と記されていたその意が、8版では”誤用”という記述が消えて俗用として更新されています。

 

というか、わざわざ辞書で「こういう意味で使用するのは誤りですよ」、と提示しなければならないくらい誤用している人が多い時点でそれって結構危うい単語だと思いませんか。

先ほど文中で使用した「気が置けない」という慣用句もそうです。「気づまりでない。気づかいしなくてよい」というのが本来の意であるものの、「近年誤って、気を許せない、油断できないの意で用いることがある。」と広辞苑には記されています。

 

時代に合わせて言葉が変化するのも、辞書が更新されるのも、悪いことではないんだと思います。実際に”そう”なのだから、しょうがないというか。

 

でも、私はそれが、言語が歪み、壊れていくのを見るようで、何処と無く切ない気持ちになります。

本当に、ああ、と小さく零すしかない、そんなような。

小さいですかね。




話は少し変わりますが、2021年のエスノローグ*2では、昨年掲載された7,117の言語のうち5つの言語が消滅したとされています。また、話者数が10人にも満たない言語は世界で100を超える*3そうで。

 

たった一年。それだけの時間で、単語どころか言語すら失われてしまう。

日本でも、消滅危機言語に指定された言語が8つもあります。嘘みたいじゃないですか。

ほんとうなんですけど。

 

この一年間で、私自身の言葉遣いもだいぶ変わりました。たぶん、高校生から大学生になって環境が変わったせいです。

少し前まで、スターバックスコーヒーを「スタバ」と呼ぶだけで叱られるような学校にいたので。

 

学校ってみんなそういうものなんですかね。

 

わかんないです。



と、「スタバ」のように略語を使うようになったのもあるけれど、「マジ」とか、「ヤバい」とかいう言葉が自然に口をつくようになったのが、私の思う一番大きな変化でした。そういう言葉が嫌いで、ずっと意図的に避けてきていたので。なんでそんな言葉を使うようになったのかなあって思い返しても少し不思議ですね。

 

今まで使うことを避けていた「マジ」、「ヤバい」に類する単語は、一見自分の内になかった新しい言葉のように思えるけれどたぶん、そうではなくて。

これまでもっと仔細に出力できていたあらゆる情報が「マジ」だとか「ヤバい」だとか、そういうひとつの単語の中に集約されていって、自分が使っていた言葉を失ってしまった。の、だと思う。

「エモい」なんて単語もきっとそうで。それを口にしているとき一体何が、何故、自分の情動を強く揺らしたのか。その「エモい」何かはネガティブとポジティブのどちらを向いていて、どれくらいのインパクトをもっていて、それが自分にどんな影響を与えたのか。そういった何もかもを、考えなくても言葉にできるようになってしまった。

 

1年もあればその程度の変化当然のことかもしれないけれど、私は今の自分が、少し嫌いです。

 

2022年、私が、自分のことを嫌いだとか言ってくれないように。己が内にある情報、思想、情動それらを、正しく伝えられる言葉を発していこうと思います。

来年の抱負です。

*1:21日に出すつもりだったんです。気がついたら24日でした、ごめんなさい。

*2:国際SILの公開するWebサイトEthnologue, 24th:https://www.ethnologue.com/ethnoblog/gary-simons/welcome-24th-edition

*3:Atlas of the World’s Languages in Danger:http://www.unesco.org/new/en/culture/themes/endangered-languages/atlas-of-languages-in-danger/